東洋医学の検査法で、足をつねるというのがある。
しかし、まずは経絡とはどんなものかについて、ほとんどの人は知らないだろうから、それについて説明する。
経絡と言うのは、皮膚表面から浅いところや深いところを流れる、「気」の走るルートだ。
「気」は全身を覆っている。スキン・・・膜のようなものもあり、
また、皮膚表面に近いところから臓腑(臓器ではなく「臓」と「腑」)までもぐっていって、結びつけているものもある。
「気」は今のように分析機器が発達していなかった古代、人間の体の「はたらき」すべてを古代人が限界を突破するまで、観察して、観察して、観察して、見出した、体のはたらきの系統、そのすべてだ。
人間の体には、例えればエネルギーの生み出し方は、車のエンジンに似ている面もあるし、血管や発汗の作用を見ると、水冷式を採用しているところもある。
現代人のわたしたちには、連想することがたやすいけれど、古代人にはエンジンなんて概念はなかったし、毛細管現象なんて言葉はなかった(おそらく発見はしていた)
そして医学は、その仕組みを上手に説明することより、どう治すかの方が一万倍も優先事項だから、仕組みの「説明できない」部分については「気」という言葉を便利に使っていたに違いない。
けれど、それだからと言って、発見してなかったとか、認識してなかったとか、分かってなかったとか、そういうことではない。古代人は現代人のわたしたちには真似できないほど、長く細かく観察する根気があった。
そういうわけで、経絡というのは、気のルートなのだが、気というのは、濃度が変わったり、構成がわずかに変わることで、その作用も変わる。(そう、原子のあつまりがそうであるように)
気の濃いところにルートが出来る。
それが経絡だ。
血管の走行が一人ひとり違うように、経絡も一人ひとり個性があるが、けれど主だったところはとても良く似たルートを走る。
またこれは血管とは違うところだが、経絡はときどき皮膚表面近くに顔を出す。それを古代人は水脈と井戸に例えた。
その井戸がツボだ。
経絡と言う地下水脈、ツボという井戸。
私たち鍼灸師はこのツボを上手に使って人を治すが、ツボにだけとらわれているわけではない。
ちょっと気の利いた鍼灸師なら、ツボより経絡を意識する。
その経絡を応用する技を皆さんにも覚えて欲しいと思う。
経絡を利用するのに、経絡を覚える必要はまったくない。
まず、主だった経絡は手と足、それも膝から下、肘から先に集まっている。(要穴といって、重要なツボも同じく手足末端に多い)
経絡の異常を検査する方法として、経絡の流れにそってつねっていくという方法があるのだが、これをやって欲しいというのがこの文の主張だ。
ただし注意がある。特に高齢者(介護をしているひとは、虐待と誤解されるので)
むくみがひどいとき、高齢者は皮膚が薄いことが多いので、つねるのではなく、そっと薄い布の上からさすってあげて欲しい。
若い人は、お風呂の中でやってみてほしい。そのほうが温まっているし、潤いもあるので辛さが軽減すると思う。
お風呂に浸かってじっとしているのが苦手なタイプの人には、お風呂でやれることができて楽しいかもしれない。
つねりかたは、ほんのちょっと、皮膚だけ、肉をつままず、皮膚だけをつまむこと。
痛くする必要はない。
異常のある経絡(上の皮膚)は、異常に痛い。
そんな部位が自分の体にあることに、ほとんどの人は驚くに違いない。
だけどご安心ください。
その痛さは、何日か繰り返していくと取れてくるのだ。
この痛さの正体を古代人は「気滞」(きたい)と読んだ。
気の滞り。
むくみの場合は、水の滞りであるかもしれないが、水の滞りにしても、ベースには気滞がある。
よく歩くようにする(自転車は筋力が衰えるのでおすすめしない)ことも大切だが、いくら歩いても、いくら泳いでも、気滞は起こる。
というか、よく動いている、スポーツをする人にこそ、このケアをして欲しいくらいだ。
これをきちんとケアしておくだけで、記録が全然変わるに違いない。なぜなら、気滞は「ブレーキ」として働くから。
スポーツ後のケアとして、マッサージするのは、このつねるのと意味は同じだ。
マッサージをプロにしてもらうのも良いが、自分でどこに気滞があるか、探ってみることも大切と思うので、ぜひ生活に取り入れて欲しい。
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