高次脳機能障害についてここしばらく書き続けていたけれど、自分の家族の話に入って、気持ちがしんどくなってしまった。
そもそも師走から年が明けるというこの時期にこんな重い話、だれが喜ぶんだろう?という気持ちもあって。
自分の中で消化しきれない感情もあり、私は家族が高次脳だということを、NPOを一緒に立ち上げる仲間にも話せていなかった。(なのになぜか誘われてるんだけど)
誘ったくるみさんも「えっ」だったろうな。
申し訳ないことをした。
NPO法人の話を時間軸に沿って話そう。
そもそも発起人のくるみさんとの出会いから話さなくてはいけない。
私は大阪市東成区にある(なかなかイメージが芳しくない西成からは東の端っこと南の端っこで離れているということを、大阪以外の人は知らない)森ノ宮医療学園専門学校という学校で鍼灸師になる勉強をした。
福岡県出身のわたしがなぜ大阪に流れ着いているかということまで説明しだすと長くなるので、そこは省く。
卒業しても鍼灸師は仕事がないことが多い。
ぶらぶらしているときに、在学中お世話になった先生から、こんなチラシがあるんやけど、と見せられたのが小児はりをやっている、まだ若い奈良の先生の鍼灸院。
そこからの伝手の、さらに伝手でくるみさんに引き合わされた。
わたしとくるみさん。
鍼灸師と病院勤務の言語聴覚士。
なんの関係もない。
けれどまぁ、引き合わされた。
くるみさんは、あの勝間和代さんの勝間塾の会員で、その関係の集まりに場所を提供し、繰り返し手料理をふるまっていた。それがレンタルセミナールームのような感じになっていて、屋号?が「くるみ亭」という。
くるみという通称はたまたまニックネームをつけるとき、くるみをぼりぼり食べていたからという適当な理由で、もちろん本名ではないが、くるみさんという名前は大阪勝間塾ではもちろん、東京にも出張するほどで勝間塾の中では知れ渡っている。
私の住む玉造と、くるみさんが新たに拠点「くるみ亭」を移したばかりの森ノ宮。
環状線の隣駅。
くるみさんとの付き合いは、意味も分からず顔合わせされられてからもだんだん深まっていき、刻家眞理子さんの勧めでわたしも勝間塾のサポートメールを読むようになってからは、さらに付き合いが密になって、今度のNPO法人立ち上げも「自分で鍼灸院立ち上げたくらいだから、事務手続きとかできるよね?」と言われ、加わることに。
そういうわけで、私はあまり自分の身の上とか関係なく誘われたので入った感じで、自分の母親も高次脳で…という話をするタイミングを完全に逸してしまっていた\(^o^)/
そう…私はあまり自分の話をするのが得意ではない。
子供のころから苦手だったわけではなく、むしろ子供のころは頻繁に自分の話をさせられていて、トークもこなれたものだったのだが、成長のどっかで心がねじくれて、自分の話というものがろくすっぽ出来なくなってしまった。
今では、「一応説明しておかなきゃまずいな」くらいに思うようになってから、なんとか話し出すのだが、それまでタイムラグがありすぎて、頻繁に悪い意味で誤解されてる気がする。(先日、師匠にも誤解されて弟子をクビになるところだった)
説明はできるのだが、自分の話をしようとすると、心にものすごいブレーキがかかる。
心の病レベル。
話し方の学校に入学した、最大の理由がこれなので、なんとかあと半年で解決したいと思う。
で、もうしばらく閑話休題を続けます。
本年も一年お疲れさまでした…
結局年賀状、書けなかった。
(つづく)
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