前記のように、子供時代の私の家は山の上でした。
あまり民家も多くはないのですが、そんな村落の中でもうちはポツンと一軒離れていました。
そのため、よく迷い犬や迷い猫が入り込んでいました。
迷い犬やは野犬でしょうか?
迷い猫は?
いいえ。ちがいます。
それらの犬や猫は、誰かがわざわざ私の家の近くに捨てに来ているのです。
もちろん、元々はだれかの飼い犬、飼い猫でした。
人なつこいから、民家に迷い込んで来ていたのです。
私が子供の頃、野犬もいましたが、野犬は決して民家には近づいて来ません。
その度に我が家がどうしていたと思いますか?
父はそういった犬や猫を保健所に連れて行っていました。
次から次に迷い込んでくる子達を、全部面倒見切れないからです。
最初は、かわいそうだな、かわいそうだな、わんちゃんも、猫ちゃんもかわいいのにな、飼ってあげられたら良いのになと思っていました。
けれどあるとき気がつきました。
かわいそうなのは、うちの父も、あと保健所で処分する人も、かわいそうだと。
うちの父は戌年生まれで、犬が嫌いじゃありませんでした。
嫌いじゃないのに、保健所に連れて行かねばならない、父は辛い。
保健所の人たちも、こんな人なつこい犬や猫が可愛くないはずがない。
処分される犬や猫がかわいそうなのはもちろん、処分する人もかわいそう。
だから、私はTNRに賛成です。
不妊手術は野良猫への虐待という意見はもっともです。
けれど、野良猫が増えるに任せたら、必ずいつか保健所の人は処分しなくてはならなくなる。
増えないよう、どこかで食い止めなくてはならないと思います。
町に一匹も野良猫がいないと寂しい…というのは杞憂だと思います。
なぜなら、かならず猫を捨てる人がいると思うから。
本当に悪いのは猫を捨てる人だと思います。
その次に悪いのは、無責任に増やす人だと思います。
世話できない動物を増やさないことが、動物を不幸にしないために必要と思います。
子供時代から、ペットを飼っている人を見ると、その人が無責任な繁殖をしてないかが気になっていました。
飼い主を嫌な目で見ていたと思います。
頭では、ほとんどの飼い主が不妊手術もして、最後まできちんとペットを大切にする人なのだと分かっているのですが、
実のところ、中々認識を改められないでいます。
ホームセンターでペットを販売しているのを見るたびに、まだ心がざわざわしてしまいます。
厳しいブリーダー資格を設定して、その人しかペットを販売できないようになったら良いのにと、子供の頃から思っていましたが、世の中それとは逆の流れなので…
子供が遊ぶ公園もない、森もない、空き地もない
それどころか、幼稚園すら反対運動で作れない
子供や動物がのびのびはしゃげる広場もない
一番弱い立場の存在が、どう扱われているかが、その国の性格を決めていると思います。
子供とペットを同列にするわけでは、ありませんが。
弱いものに合わせて世の中を設計していくことは出来ないかなと思います…
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