びんぼーではないが、リッチでは決してない私。
治療院が、長屋の半分で、二階があるから、よくよく経営に行き詰まってきたら、治療院の二階に住もうと決めていたけれど、
今のところ、玉造の東成区側にある部屋を、手放すとこまで行かず、
なんとかやっていけている。
治療院の二階は充分住める広さがあるが、風呂がないのと、台所がどうも冷蔵庫やらを置くには苦しい。
なので、部屋が別にあるのですが、そこの家賃がわずか35,000円。
鍼灸専門学校時代、家賃を頻繁に聞かれて閉口してましたが、もう聞かれる前に言います。
35,000円。
風呂トイレ別。
トイレは和式水洗。
風呂は追い焚きなし。
部屋は1Kで、キッチンのが広い。
四階建てでエレベーターなし。
ベランダは屋上がルーフバルコニーになってて、誰でも使えます。私もちょいちょい布団を干してます。
眺望最高です。
洗濯は近隣のコインランドリー。
これは同じアパート内に欲しいところ…乾燥機は、やっぱ洗濯乾燥機じゃなく、乾燥専門が良い。
キッチンがそこそこ広く五畳〜くらいかな。
部屋はキッチンより少し狭いけど、半端な広さだけど、押入れあり。
断捨離を何度かして、大体手頃な広さになりました。
部屋にIKEAのポエングとかいう椅子、和室なので布団、あと椅子と書き物机、本を入れてある、押入れ収納みたいなのが二つ。
書き物机にはデスクトップパソコンです。
キッチンには正方形のダイニングテーブルと椅子が二脚。カラーボックスが二つ、服を入れる三段ボックス、冷蔵庫、カウンター的なものに食器を入れてます。
電子レンジとトースター、冷蔵庫がブレーメンの楽団状態。
一人暮らしとしては充分な広さです。
私が考える一人暮らしの家の要件は、
1K以上。
そこそこの広さのキッチン。
作業できるスペース、流し、ガスコンロ
追い焚きができる風呂
洗面台、着替えができるスペース、洗濯機が置ける、浴室乾燥も出来る方がベター
風邪をひいて、髪だけでも洗いたいときはあるので、洗面所はあったかいに越したことはない。
涼しさも重要だが、暖かさがなにより大切。密閉性が担保される二重サッシが望ましい。
若い頃ならそこまで気にならないかもだけど、歳食ってくると冷えに命を取られるかもだし。
でも、風呂には窓が欲しい…これは贅沢なのか。すごく心が潤うんだが。
キッチンにも窓が欲しい。目の前が壁というのは好きじゃない。
部屋は寝るだけなので、狭くてOK。クロゼットがあって、ベッドと、ポエングが入れば良し。あと等身大の鏡。
キッチン兼居間+寝室というのが望ましい。
キッチン兼居間で書類書きなどはする。
パソコンはデスクトップではなく、ノートでOK。
食器は最小限にする主義だが、鍋は何種類か必要と思う。フライパン(蓋つき)、ミルクパン、蓋つきの片手鍋(直径がどん兵衛くらいの)、ちょっと深い煮込み鍋。土鍋。
食器は、湯のみというかマグカップというかが二つ。ご飯茶碗。汁椀はでっかいのが良く、あと微妙に深さのある皿が二枚。カレーもいけるくらいのと、煮魚やらハンバーグやら載せるのと。小皿が3枚(醤油など)
グラスはなくても死なない。
どうせ持つなら、食器の類は一番気に入ったものを使い、丁寧に手洗いしたい。見せる収納が望ましい。
なんなら壁に飾れるようにしても良い。
私の生活に広い家は今のところ必要ないです。
庭付きは苦手。戸建も庭なしのが好き。
漁師町で育った母は、この点価値観が私と真逆でしたので、育った環境って大きいなと思います。
母の育った家を対比に置くと面白いと思うので、それも書きます。
母の実家は、漁師町の小さな居酒屋兼雑貨屋で、家は曽祖父が建てたもの。
総二階でした。(当時はローンがなく、現金一発だったそうです。恐ろしい…)
土地は狭く、突き出た岬のヘリにしがみつくような形で、集落が小高い山を囲むように建っています。
土地は基本市からの借地。家は持ち家というシステムらしい。
家をポーンと現金で買うくらいなら、土地もそうしていても不思議じゃないのにそうなってない。
農民と漁師の土地へのこだわりの違いなのか?
興味を惹かれるテーマです。
借地代はめちゃ安いらしいです。
土地が狭く、宅地造成には向かないところなので、そりゃそうだ。
家の前には狭い道路。離合不能です。
道路を挟んで向かいにも家が並んでいますが、一列こっきりです。
なぜならその向こうは川だから。
川、家、狭い道路、家、突然山
こういう並び。
川は、海に繋がるといいますが、
この家の前の川は、川というより海の一部で、
潮が満ちると、なみなみで、
潮がひくと、石がごろごろする浜みたいになります。
川と民家の間には、しきりがあります。
不思議なもので、ひどい台風の時も、これを越して海が集落に流れ込んできたことはありません。
ギリギリの高さにしているのでしょう。
集落のある市は、海抜以下の土地が結構あり、昔一回台風のとき、家が沈んだりして大変だったのですが、
その漁師町は、古代からあったらしく、水害にはめっぽう強いです。
水辺の土地って、もろいのが普通なんですよ。
でも、あそこだけは強い。
江戸時代に埋め立てたという集落と川を挟んだ向こうの土地は、もしかしたら危ないかも。
なんか地理の授業みたいな話になりましたが、話を戻すと、
母は、家がひしめきあう漁村の生活に飽き、
土地付きの広々した家に憧れる気持ちが強く、
あと家が商売していたので、
人が休みのとき働き、
酔っ払いに夜中、叩き起こされる[酒、売ってー]
そんな酒屋生活が大嫌いだったそうです。
気持ちは分かる。
ちなみに漁師は酒に強いというのは、本当です。
酒屋は、実はわたしが中学になるくらいまで、やってました。
祖父母の家=酒屋
(父方の家=山の上の家=育った家)
だったわけですが、
たまに泊まる程度の私たち子供には
酒屋生活のしんどさや面倒さは、分かりませんでした。
むしろ、家にスルメなど、酒屋のツマミがあってオヤツに困らない極楽でした。
子供の頃から食い気が強かったわけです。
どうやら、その点は母もお気に入りだったらしく、認めていました。
しつけは厳しめの明治生まれ、大正生まれの母方の祖父母なので、孫にも無制限にくれたりはしなかったのですが、
母の世代…団塊の世代で、まだものが乏しかったことを考えると、
家にオヤツがあるという生活は、私ら以上に最高だったろうなぁと思います。
(おわり)
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