日本人に
もっと毒を。
汚い、といって電車のつり革に触らない人は、逆に不健康だと思う。
毒気など無縁の顔で理想ばかり語っていた政治家は、あっさりと折れてしまった。
お人好しがどれだけ罪かということを自覚しない国が、外交で失敗ばかりする。
毒とは何かを知らないコドモほど、人に平気で毒をかける。
あるいは自分にさえ毒をかけて、あっさりと死んでしまう。
あるいは「人に嫌われたくないから」という呪縛を自分にかけて、
少しずつ少しずつ、自殺しながら生きている。
いい毒は薬。毒に触れ、毒を知り、ある時はそれを解毒しながら、
ある時はそれを別の毒にぶつけながら。
人は自分の中に、やわらかで逞しい免疫力や想像力を育てていく。
とんでもなく悪いことをする人間は、ほとんどの場合、このふたつが決定的に欠けている。
さてこれからの子どもたちはどういう風に
毒を知り、人間を、世の中を、世界を知っていくのだろうか。
突然ですが、立川談志さんのような人には、ずっと居つづけてほしいと思う。
365日の広告コピー、パラ見していて、これは見過ごせないなと思った。
こちらのコピーは、宝島社の2008年のもの。コピーライターは前田知巳さん。
2月11日のページに書かれているコチラのコピー。
2月11日は「建国記念の日」。初代天皇(神武天皇)が即位した日とされています。
なぜこの「毒」について書いたコピーを見過ごせないと思ったかと言う話。
実は、鍼灸も、毒にも薬にもなります。
鍼灸治療はWHOにも認められた医療ではありますが、人の体を傷つけて治すものです。
それは、はりも、そしてお灸も。
人の皮膚を破って鍼を刺すのですから、まず痛いですし、さらに言えば、微量の出血も伴う行為ですので、感染の恐れも生み出します。
お灸にいたっては、わざと火傷させているのです。人の体を害するという意味では間違いなく毒です。
毒にも薬にもならないというのは、効果も、意味もないということです。
効果の大きいものは、それ相応にリスクがあります。
鍼灸にはリスクがあります。
見立てを誤れば、治療効果どころか、逆にしんどさを感じます。
但し、一時的にしんどくなって、翌日昼すぎたくらいからスッキリして元気が出てきた、という場合は見立ての間違いではありません。それは治療効果です。(それくらいがちょうど良い刺激量と考える鍼灸師は少なくありません。逆にその場でスッキリしてしまった場合、ちょっと刺激量が足りなかったかも?と考える材料になります)
かといって何でも傷つければ良いというわけではありません。
このコピーにあるとおり、毒を毒と知りつつ、毒に触れ、毒を知り、ある時はそれを解毒しながら、ある時はそれを別の毒にぶつけながら、私たち鍼灸師は皆さんの体を治療していくのです。
鍼灸師は、病と言う毒に、鍼灸という毒をぶつけ、治療する職人です。
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