私たちが人生の意義や目的を見つけることで、人生は改善しうるものだろうか?
私はノーだと思う。
人生の美しさは、ふとした一瞬に感じられるもので、それは生活を楽しむ中にあるのだと思う。
だから、人生の目的とは、
あまりにも「楽しめない生活」に埋没しているとき、
そこから脱するために必要なもので、
人生の美しさを楽しんでいるうちは、必要のないものではないかと思う。
現実問題として、
現代人の生活は「楽しめない」ことを受け入れる、我慢料としての給料の上に成り立っているように思う。
時代の僥倖にあったときは、それを楽しみ、ちょっと逆風が吹いてみれば、儚く崩れる。
人生がそんな儚さを持つからこそ、「人生の目的」なんてものが、必要なのだと思う。
万物は流転する
流転する中にあって、左右されず、本質を見失わず、生きられるようになることを「能動的に」生きることと言う。
給料が「我慢料」になっているうちは、多分勤め人でも、フリーランスでも、多分人生は「受け入れる」べきもの、「耐えるべき」もので、
働き方の形態に関係なく、「能動的」「自発的に」働いてるときは、きっと「人生の目的」なんて考えないような気がする。
人生の目的だの意義だの考えるのは、本当は今、やってることが楽しくないのだと思う。
私は鍼灸をもっと普及したいと思うが、それは人生の目的とかではない。
単に鍼灸をすんのがオモロイから、鍼灸をしてて、鍼灸がもっと流行ったら、そのオモロイことをもっと出来ると思ってる。
単にオモロイだけで、鍼灸がエライと思う思ってるわけでもないし、
鍼灸というもんに、自分の人生を奉仕させたいとも思わない。
こんなこと書いたら意外に思われるかもしれないが。
「人生の目的」とか、クレドを持てみたいなことを、自己啓発本には書いてある。
あの「七つの習慣」にも書いてある。
けど、オモロイと思うことを単に追って行けば良いと私は思う。
敢えてモラルみたいなもんを人生にプラスするとしたら、ちょびっと美しさみたいなもんがあると良いなとは思う。
それは弱いものいじめをしないとか、皆んなとなるべく仲良くするとか、嘘をつかない、盗みをしないとか、足るを知るとか、そういうもんかなと思う。
そして、その美しさが、「人となり」を表すのであって、その人の職業が何かとか、収入がいくらかと言うとこに、人となりは現れないと思う。
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