今度はコボちゃんに登場してもらおうと思う。
コボちゃんと妹が、ストーブの周りを駆け回って遊んでいるとする。ストーブは燃えている。
おばあちゃんが来て、二人に向かって「ストーブの周りを走らない!」と怒鳴った。
それをブランチにしてみたい。
これを音読してみたい。
もし、コボちゃんと妹がストーブの周りを走り回って遊んでいるならば、かつストーブには火がついているならば、結果としておばあちゃんは「ストーブの周りを走らない!」とコボちゃんと妹に向かって怒鳴る。なぜならば、ストーブが倒れたら火事になり、かつストーブにぶつかったら、コボちゃんと妹が火傷するかもしれないから。
だいたいこんなところだろうか。
これではまだ十分じゃない、おばあちゃんが孫達を怒鳴るにはもっと深い何事かがあるかもしれない。
ストーブが置いてあるのは室内とは限らないし、おばあちゃんは二人が走って遊ぶ前はどこにいたんだとか、コボちゃん達がストーブの周りを走り回るには事情があったんじゃないかとか、考えられる要素は無限にある。
しかし、ブランチには「目的」というものがあって、それは、ようはそのブランチに納得出来れば良いのである。
ブランチの使い道は、自分で思考の抜け漏れを発見するというのが第一義だが、
私たちの知性というものには、あらかじめ限界があることは認めなくてはならない。
自分の後頭部を見ることは誰にもできない。
だから、ブランチの本義は、これを他者に説明し、ブランチという共通言語に立って、一緒に検証してもらうことにある。
だから、ブランチは「簡単」なのだ。
理屈は誰でも分かる。
知らなくても、ちょっと説明して貰えば、初めてブランチを知った人だって、おかしなとこがないか、一緒に検証できる。
その誰かは、利害が共通する相手だと良い。
コンサルタントとして働く人は、いろんな思考の枠組みを知っている。
このブランチというツールも、自家薬籠中の物にしていることだろう。
けれど、あなたがもし、コンサルタントとして、なんの訓練もしていないとしても、ブランチなら使える。
使って、お互いの間にある問題を埋められるのだ。
なので、その使いでについて、もう一個くらい例題をやって、ブランチが役に立つということを感じて欲しいのでつづく。
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