先日、研修に行っている先での出来事。
その患者さんは、昨日が三回目の来院。
鍼灸治療は、昔腱鞘炎の治療をしてもらったけど、全然効かなかった。
今回は別の疾患。
お仕事と関係が少なくないご病気で、もう何年も問題があり、年齢を重ねたこともあってか、悪化して仕事に差しさわりがあるレベルになってのご来院。
初回の治療時 10だった症状→3
すごい、治った!と喜んで帰宅。
二回目の治療時 3だった症状→8に悪化
なんで!?なんで悪化したの?やっぱり私には鍼灸は合わないの?←今ココ。
こういうことは鍼灸治療ではよくある。
鍼灸というか、東洋医学には、「標本」という言葉がある。
チョウチョとか、カブトムシとか、そういうのではない。
ただしくは「病の標本」と言って、
標とは、「病の見た目」
本とは、「病の根っこ(本体部分)」
人間の身体を土壌に例えると、不摂生とか、運動不足とか、ストレスとか、老化などで、土壌が次第に汚染されてくるわけです。
そこに病の種がぽとりと落ちると、最初に根っこが出て、そのうち芽が出て、葉っぱが伸び、花が咲く。
この患者さんの場合、初回の治療で10→3というのは、ハサミで地面から上に出ている植物の茎と葉っぱと花をパチン!と切り取ることに成功したということ。
二回目の3が8に悪化したというのは、目に付く症状(葉っぱや花)はなくなって、もう治ったんだとほとんど思い込んでいたのに、また症状が戻ってきたという意味。
そりゃそうよ。根っこは健在なんだから、根っこがあるうちは、幾らでも芽吹くし、再び盛り返してくるって。
3→8になったとしても、そう驚くことじゃない。
でも患者が喜んでるのに水を差すのを嫌がる鍼灸師は多い。そりゃこちらも人の子ですから。
10が3になったのは、あくまで葉っぱと花を切っただけ。根っこがある以上、まずは根っこの成長を抑えて(つまり自分でも気をつけてもらう)、その隙に土壌改良に取り組まないと、根っこは枯れない。
鍼灸治療は、ときどき「魔法」だと誤解されるけれど、それはその「標治」(病の見える部分)を治療したら、なんでかうまく行って「本」まで治ってしまうということがあるから。
まぐれです。
それか、土壌の汚染が進んでない、免疫力の高い身体だったから、光合成する葉っぱをむしっただけで、根っこまで枯れたか。
その患者さんに話を戻すと、
10→3が3→8とは言っても、10のときは、眠れないほど咳き込んで、時には咳であばらが痛くなり、吐きそうになっていたほどだったのが、8になったと言う今は、夜は眠れ、咳の程度も前とは段違いに軽くなっているんで、実質10が6くらいになってるわけですが、一旦治ったと思ったものが悪化したのが、患者さんにとっては余りにショックだったのです。
そういう気持ちは十分理解できますね。
なんとか、この不安を分かって欲しいと思われたんでしょう。
でも、西洋医学的な「治りかた」と東洋医学が考えるそれと、あまりに違うので一言ではとても説明できないから、鍼灸師としても苦しいところ。
そもそも咳止め、熱さましが諸悪の根源かもと思います。
人がなぜ咳をするかと言うと、気管に異物が入ったから。
咳で出さないと、異物は入りっぱなしってことです。
咳止めは症状としての咳を見事に消してくれます。
患者さんに「治った」と勘違いさせるほど。
実際は治したんじゃなく、こじらせたんです。
問題を解決したというより、症状をマジックのように消して、時間稼ぎによる「忘却」を悪用している。
熱さましも同じ。熱によって体に入り込んだ雑菌を殺すという仕組みなのに、雑菌を殺さず、問題を深くしてしまう。
さっきの例えで言うと、常に殺しきれなかった雑菌が残った状態にして、土壌を汚染させている。
「標本」という考え方は、症状と病を別のものとして捉える考え方です。(症状と、原因ではありません)
こういう東洋医学の思考フレームを知っておくと、健康に関する考え方、感じ方が変わってきます。
変わってくるのは、それだけじゃないですけどね。
従来のフレームと違うものに触れるのは、「気付き方」のコツを新たに習うようななもので、色々応用が利きます。
最後は、勝間和代さんのメルマガ風にまとめてみましょう。
>咳止めで咳を止めるのは、治しているのではないということを、あなたはご存知でしたか?
>症状がなくなることと、治ったのとは別だということを、あなたは認識していましたか?
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