今日勝間和代さんのメルマガで「公正世界仮説」というものを初めて知りました。
ウィキペディアから引用してみたいと思います。
「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念(belief in a just world)という。
理想的な世界のように思われます。
しかし物事はひっくり返してみないと分からないこともある。
スイーツは美味しいけどカロリーが高い、みたいなもんです。
現実を見ると、一部の正義は無にされるし、一部の悪人はのさばっているので、どうやら、私たちが生きている世界は、公正世界ではないようです。
ただ、気持ちとしては、公正世界であって欲しいという人がいます。
勧善懲悪の時代劇の世界は、公正世界の典型です。
そんな仮説を持って生きていても、特段悪いことはなさそうに一見思えるのですが・・・
この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などの存在を暗示する。公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。
(太字は私)
これを読むとますます、その公正世界仮説ってのを持ってるのは、人として正しそうな感じがしますね。
因果応報って仏教の教えですもんね。悪いことをするとバチが当たりますよって、どっかの人の良さそうなおばあちゃんが言ってました。
『7つの習慣』も基本的にはこういう考えではないでしょうか?悪いことが起こったとしても、それを相手のせいにするんじゃなく、全ては自己責任だと思っていきましょう、というメッセージだったはずです。
それなのに、この公正世界仮説の一体何が問題だと言うの・・・か!!(くわっ)
一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「罪」を非難する犠牲者非難をしがちである。
こんな考え方放っといたら、世の中、悪が栄えまっせ!!
公正世界仮説、絶対ダメ!
このメルマガで、勝間和代さんは「もっとも罪深い服のファッションショー」というものを紹介しています。
もっとも罪深い服とは、一体どんな服なのでしょうか?
『さぞ扇情的にな・・・』
とセクシー衣装を期待した向きには残念なことに、出てくる女性はごくごくどこにでもあるような普段着姿です。
このファッションショーは、「女性がレイプなどの性被害に遭ったときに着ていた服」なのです。
なぜこんなファッションショーが行われたかというと、
性被害では、被害者が必ず責められる
という悪しき現実があるからです。(純粋悪ってものがあるとしたら、それはこういうことかもしれませんね)
被害者に隙があったんだ、とか
被害者が加害者を誘惑するようなそぶりを見せたのだ、とか
けれど、性被害者のほとんどは、誘惑的でもなければ、自業自得でもありません。
罪なき人が被害を受ける例なんて、私たちは9.11でも3.11でも飽きるほど見たはずなのです。
一番の悪は善意や正義の形してやってくる。
公正世界仮説って怖いですね。
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