「なんのために勉強しなきゃならないの?」という問いを、今の子供たちもしているんでしょうか?
私は、リアルの付き合いでも、フェイスブックなどSNS上でも、いろんなセミナーや勉強会に行く人に囲まれているので、世間の普通と自分の周りの普通とが一致してるのかどうか分かりません。
私の周りというのは、私が大阪に来て以降の周りなので、職業的には鍼灸師が全体の3-4割ですし、それ以外はそもそも私が参加した勉強会やセミナーで知り合った方が多いので、私の周囲は、それこそ息をするように何か勉強してる人が多いのです。(患者さんのプライバシーには踏み込まないので、患者さんは省きます)
子供の頃から、私は本をよく読みました。
あんまり本ばかり読んでいるので、家族から
「そんだけ本に投資した分、何か価値を生み出してるの?」
正確にはこんな硬い言い回しじゃなかったのですが、そんなことを言われていました。
何のために本を読んでるの?
私はドキュメンタリーとか社会派的な本を読むことが多かったので、本を読んでは憤っていることが多かったです。
わざわざ不機嫌になるために、本を読んでいるの?
家族の疑問は尤もでした。
けど、そのときの私は小・中学生。
本を読んで、勉強して、それでどうなるの?という問いかけに、何も答えを持っていませんてました。
勉強しないで、「何で勉強しないの!(怒)」と叱られるならともかく、勉強してるのにイヤミを言われるって、ちょっと面白いですね。
今も、やっぱり社会問題なんかについても本を読みますが、比率としてはやはり経営や医療についての本が増えています。
社会系の本は娯楽のポジションで、余裕があるときに読みたい本です。
今、「なんで勉強するの?」と聞かれたら、仕事のためだよと答えられるのですが、
相変わらず読んでいる硬〜い本。
なんのために読んでいるか。
読んで、この世にどんな価値を生み出すつもりなのか。
それは私が生きている世界について知りたいから。
世界について知ると、自分がどうすれば良いか、考えられると思うから。
私は、たぶん、「より自由」になりたくて本を読んでいると思う。
この世にどんな価値をアウトプットするつもりなのかは、まだ分からないけれど。
それは親が子供に、何のために勉強するのか問われたときと、同じ答えではないかと思う。
大人になったとき、より不自由を感じずに生きる術が学歴を身につけることで、そのための勉強なのだと言うのと同じことで、
私はもう今は学歴は必要ないけど、より自由に生きたいから本を読んでいるのだと思う。
生きている世界を相対化したいから、
絶対視したくないから、
囚われていると思いたくない。
これは、結構つまらない理由で…
子供の頃、ハウス名作劇場で「南の島のフローネ」(うろ覚え)を見て以来、好き勝手生きたい願望が植え付けられてしまったからとか、
たぶんその程度で、深い意味はないんだと思う。
深い意味はないけど、今でも本を読んでるってことは、私はかなり粘着気質なんだな。
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